お侍様 小劇場

   edge of supposition(お侍 番外編 42)

 


 厳冬の寒気がいつまでも居座るかと思えば、不意に暖かくなったり。コートが邪魔になった翌日は、マフラーもすればよかったかと後悔したり。そんな目まぐるしい頃合いに差しかかれば、桜の前触れ、梅の便りももうすぐと。教えてくれた人の声を、ふとを思い出す。

 『シチへ教えたのもこの儂だ。』

 その男臭い風貌に似合わず、花の名前に詳しかったと、そういえばあの彼も言っていたっけ。

 「…。」

 一応は立ち寄った駿河の宗家へは、型通りの報告だけをした。下調べの段階からやたら胸糞悪いばかりだった務めの詳細の方は、こたびの組分けの補佐をした若頭がまとめており、侍従頭の篠宮のところへ届けられることとなっている。役目も管制も全部が全部を自分の手でと手掛ける惣領も多いし、そういったこともこなせるだけの器あっての首長…でもあるのだろうけれど。そういう細かい柄じゃあない、いやさ、人へと任せることへの器を持ち合わす分、宗家の総帥様にも並ぼう大器よと、西方の支家を束ねる良親殿から、その器量を買われてもいるくらい。寡黙で透徹、物静かで滅多に激さぬ日頃のありようもまた、さほど雄々しくも猛々しくはないその風貌には、むしろ似合いの品格と。早くも次期宗家総帥の候補とまで囁かれてもいるけれど、

 「……。」

 当の本人には、そのような声さえ遠巻きの風籟。どんな取り沙汰されようと、意に介すこともなく、触れもせず。数少ない関心事へだけ、その表情にほんのりと、気色のにじむことがあるだけ。そして…だとすれば今が正にそれ。少しばかり時間の掛かったこたびの務めの終了、告げにと立ち寄った宗家をとっとと辞して。そのまま彼が向かったは、宗家の邸宅からやや離れたところ。ずんと閑静な里の外れ、竹林の奥へと隠れるように佇む庵に向けてだ。
「…。」
 逸る気持ちを抑え、最寄りの町にて車も預けて。親類の家へでもやって来たよな体裁繕い、地味な身なりでないと浮く、田舎の道をさくさくと歩んで歩んで。やっとのことで辿り着いた小さな一軒家こそが、鬼でも平伏す“倭の死胡蝶”を、唯一和ます安住の地。
「…。」
 年中鬱蒼として見える竹林は、だが。入ってみると存外整然としていて、凛と清かで。ちょっと見には分かりにくい枝道を辿れば、小じんまりとしつつも瀟洒な庵が見えて来る。軒先から周辺取り巻く犬走りの隅々まで、どこにも雑然としたところはなくて。丁寧に掃き清められた玄関までを、古びた飛び石が連なって来客を導いてくれる…のだが。

 「……。」

 ああ、いまだに緊張を感じると。よくよく磨かれたそれだろう、ガラス引き戸が互い違いに嵌まった玄関先、ついつい手をこまねいてしまうのもいつもの事。おっかない大おとなから叱られる場でもないのに、むしろ飛ぶような心地で、進んで逢いに来たはずだのに。日頃、どこかピントがはっきりしない身だから、こんなときに帳尻合わせが行われ、それで戸惑ってしまうのだろかと、そうまで逆上ってしまっておれば。

 「…っ」

 ガラス戸の向こうに人の気配が動く。ああ お待たせしてどうするかと、やっとのことで戸に手をかけて、ガラリと引けば、

 「久蔵殿、お帰りなさいませ。」

 こちらのどぎまぎ、ちゃぁんと見えてもいただろに。それへと向けた蓮っ葉な代物ではない表情で。青玻璃のような目許をやんわりとたわめた、品のある柔らかな頬笑みも、それはそれは莞爾にやさしく。堅苦しくはないが、砕けてもない。なで肩の線も嫋やかに、こざっぱりとしたいで立ちの男性が待ち構えており。この青年が、日頃の寡欲をそれこそ均して余りあるほど、この世で最も大好きで大切な存在が。三つ指こそついてはないが、それでも、玄関の奥、上がり框の先へ端然と座して。控える者の姿勢を保っての、立派なお出迎えをして下さっており。

 「…。/////////」
 「ええはい、伺っております。今宵はこちらに泊まって下さるのですね。」

 お久し振りですねぇと、はんなり微笑う嫋やかな見目も柔らかく優美で。さあさ上がってくださいませなと、仰々しくも畏まらず、さりとて、どちらが上位かは決して譲らず。年若な久蔵が先へ上がれというのを待っての、座したまま。二人しかいないときは昔と同じでいいのにと、どれほど言っても聞かぬ人。

 『今や木曽のお館様でおいでの御方、
  本来ならば、木曽様とお呼びせねばならぬのに。』

 それに引き換え、こちらは何の格も持たぬ身なれば。連れを付けない貴方様とは、直に逢うのも難しいところ。これでもずんと作法はずれの待遇、重々甘えさせていただいておりますと。論を尽くして明言されてしまっては、口下手な久蔵にはどうしようもなくて。今も促されるまま、こちらもきれいに磨かれた、紫檀のような深みある色合いの廊下へと上がった久蔵へ、その後へと続きつつ、彼は優しい声で言葉をかけてくる。

 「こたびのお務め、長かったのですね。」
 「?」

 詮索はよくないのですがつい。そうと言ってふふと小さく微笑ったらしく、
「メールも何も下さらなかったし。その代わりのように、今時の野菜や果物が西から引っ切りなしに届いておりましたので。」
 ああこれは、何か美味しいものでも作って待っておれということかと。伸びやかなお声を少しだけ低めるようにして、企んでおいででしたねなんて言わんばかり、そんな言いようをした彼へ。

 「…っ。」

 お届けものをして目を逸らさせたはお見通しの通りだが、いやいやそこまでの強引な言いようは含んでなかったと。慌てて肩越し振り返れば、
「責めてなぞおりません。」
 脅かすような言いようになったは冗談ですと、楽しそうに微笑っておいでの彼のお顔に見とれてしまう。淡い色合いの金絲は、以前逢った折より少し伸びたような。日本家屋のこれも特徴、昼間 明かりを灯さぬと、外の陽との対比もくっきりとした、暗さをたたえる一角が出来る。丁度この庵では、このお廊下がそんな空間であるらしく。先へと進めば、明るい庭へと向いた居室が居並んでおり、どこもが柔らかな明るさに満ちていて。早よう此処へと誘
(いざな)うためにか、こちらには冴え冴えとした暗さが満ちており。だが、凛と引き締まって端正なその暗がりも、今は愛しい人の淡彩な姿、なお可憐に引き立てるばかり。

 「お気遣いいただいておりますね。」

 にこりと微笑って下さったのへ、ううんと幼子のようにかぶりを振って見せ。大好きな母上こと、七郎次との久々の逢瀬へ、その甘やかな時間を得たことあらためて噛みしめ、そのまま足を進める久蔵である。





     ◇◇◇



 成年となり、それなりの修養も積み、何より、他の親戚筋からの推挙の声も多かりしとあって。この久蔵が生家である木曽の支家を継いで立ったのが、何年前のことだろか。まださほどには“務め”へ出ていない身ではあれど、それはそれだけの大事がなかなか起きぬ時勢だからで。日頃は東の支家それぞれへと割り振られる、国内の務めの管制統合をこなしており。たまに、大事が舞い込めば、それへと付き添い、少しずつ実践の感覚を積んでいる最中という身。現代の、少なくとも日本という平穏な土地に生まれて育った身の上にしては、戦いへの勘というものが研ぎ澄まされておいでなので。これも血筋か、いやいやあの勘兵衛様が間近に置かれていた影響よと、先を楽しむ声も多いが。名乗り上げをするより前から彼を知る者にしてみれば、淡々としているところも、そのくせ、身ごなしの切れが鋭いところも、大した特徴なんかじゃあない。むしろ気を付けねばならぬのは、何につけ 微妙に好き嫌いの偏りが大きいところ。よく言って真っ直ぐで清廉、悪い言い方をするなら、全く世慣れていないままの、困った青年であったりし。

 「高千穂のお家から、菜の花をいただきました。」

 もうたくさん摘めるほど咲いているのですねと、感心したような言いようをし。あっさりと煮ましたので後で出しますねと、食べるほうの菜の花を語った七郎次だったのに。ついのこととて、どこに生けたのだろうかと室内を見回してしまった久蔵であり。そんな稚
(いとけな)いところも相変わらずですねと、七郎次としては、はんなりとした笑みがなかなかに絶えない。だが、

 「…っ。」

 窓には染みひとつない純白の障子が、気の早い春の陽を透かす、なかなかに明るい和室の一角。着て来たコートを預かって、壁へ作りつけの箪笥へと仕舞いかけてた七郎次のその背後。特に気配を殺すでなく、そおと寄って来た久蔵が。そのまま…両の腕を延ばして来、愛しい身を柔らかく捕まえたのへは、

 「久蔵殿?」

 さすがに僅かほど肩先震わせ、驚いたような気色を乗せた声で窘めたけれど。
「…。」
 その腕がほどかれることはない模様。乱暴を働こうという気色はなさげの取りつきようと、そこは馴れもあることだから。こちらも大仰に吃驚したりはしなかった。ただ。こういう触れ合いになると、思い知らされるのが、
「大きゅうなられましたね。」
 さすがに、初めて出逢った時のこと、いつもいつも思い起こすわけではないのだけれど。背丈も肩幅も腕の長さも、一体いつの間に追い抜かれたのだろうか。懐ろも深くなり、こちらを余裕で抱きしめてしまえるほどとなり。だが、あ…っと思い直した七郎次、

 「ご立派になられて。」

 いけないいけないと言い直したものの、肩の向こうからは小さな苦笑が届くばかり。
「いつまでも幼子か?」
 言い直しを責めたんじゃあない、でも。今や木曽の当代、東の支家をまとめる総代になる日も近いとまで、言われている久蔵だのに。この七郎次にかかっては、隠れんぼの途中で怖がって家中を駆け回った、あの小さな久蔵でしかないのだろうか。
「まさか、そのような。」
 冗談めかしたのだと解釈したか、くすくすと笑ってくれた七郎次だったけれど。その弾みでの身の弾みよう、腕の中にと感じつつ、久蔵の側とて、近ごろはさすがに気づいてた。こうして抱えるこの彼と自分、その身にこれまでとは逆の差異が出来つつあると。最初の内は、心労が重なったことから、その肩が細くなったかと案じたものが、現実はそうではなくて。こちらの背丈が肩幅が腕の長さが、彼を追い抜いてしまっただけなのだというのが…驚きで。

 『だって、私はもう“大きく”はなりませんし。』

 くすすと笑った彼を前に、そうと気づいてからのこっちは、以前にも増して、彼がただただ愛惜しい。

  ―― だって

 彼より大人だった勘兵衛にしてみれば、どれほどのこと この健気な肩を守りたかったか。一途なところを大事にしつつ、それでも…あの雄々しくも精悍な大きさで、それは頼もしい護りようをしてしたのだと。つくづくのこと思い知らされるからであり。

 「…っ、久蔵殿?」

 いい匂いのする金の髪、さらりとほどいて鼻先を埋める。柔らかな温もりも、甘い匂いも、ちっとも変わらないままな人。きっとこの小さな庵で過ごしているその日々の中でも。心のどこかにあの男、御主としてのずっとずっと、住まわせ続けているのだろ。貞淑さがらしいと思いつつ、だが。それを思うと胸が痛くなる久蔵でもあって。こんな人も通わぬところで、どうしてこの彼は、独り、朽ちてゆこうとしているのだろ。自分だけじゃあなくの、そりゃあ多くの人たちから、好かれ望まれしている彼だのに。自分なんかよりもずっと、人を導き、包み込むことにも長けた、そんな懐ろ深い人なのに。こんなところで誰にも知られぬ身になることを望んでる。誰とも逢いたくないならそれでもいい。

 「木曽へ、来い。」

 いつも繰り返す一言へ、だが、

 「なりません。」

 返る答えも変わらない。焦燥を帯びての撥ねつけるようなそれじゃあなく。どこか諦めたような寂れた声でもない。用意されたあった、挨拶のお返しででもあるかのように、それは端とした言いようを返す彼であり。
「…どうして。」
「此処が私の居場所だからですよ。」
 元は諏訪の人だのに、彼にとっては駿河が生家だということか、此処から離れるつもりはないと、いつもと同じに言い張って。

 「久蔵殿こそ、もう此処へと…私へと こだわるのはおやめなさい。」

 背中を抱いての胸元へまで。それこそ離すまいとするかのように回された腕へ、下から上げた手、そおと触れさせ。本当に一端の男衆になられたなあと、感慨深げに見下ろした彼だが、
「やはり子供扱いか?」
「此処においでなことこそ、いつまでも自立なされぬ証左では?」
 心にもないことを、それでもきつく口にする。親離れが出来ぬ人じゃあないことくらいは、百も承知だ。こちらは此処で勝手に案じている身、それを気に留めておいでな久蔵だということくらいは判っている。でも…だからこそ、此処から先へと進む気のない存在に、いつまでも心を向けていてはいけない。お願いですから、私のようなものなぞ捨て置いてと。かつては勘兵衛へ懇願していた同じこと、この久蔵へまで言いつのる彼であり。


  「そんな戯言は聞けぬ。」
  「久蔵殿…。」
  「でないと、シチを託して亡くなった、島田に合わせる顔がなくなる。」





    ……………………………はい?



 「待て待て、人を勝手に“亡き者”にするのではない。」
 「勘兵衛様。」

 話の雲行きの唐突さに、ついつい突然の乱入を果たした人がおり。あややと七郎次がそちらを見やる。陽気のよさから開け放っていた濡れ縁から、よいせと上がって来た人影は、相変わらずの蓬髪に顎髭という、野性味あふるる風貌もそのままの、島田家宗家総帥、勘兵衛様ではござらぬか。

 「せやかて、勘兵衛様が生きとったら、
  誰が相手でもおシチがここまで気ぃ許すこと、勘弁ならんのとちゃいますのん。」
 「良親…。」

 こちらも突然現れて立ちはだかった“西の支家”筆頭様の陰で、悠然とした男っぷりをご披露していた誰かさんが、ぽよんと元の姿に戻る。高校生ともなりゃあ大人も同然とは言うけれど、やはりそこには微妙な差があるもので。ましてや、本来からの素養として繊細な風貌をしている彼のこと。決して弱々しくはないながら、それでも大人とは呼べぬ種の線の細さは否めない。今はおっ母様へのおんぶという態勢になってしまった対比も何のその、

 「…案ずるな、シチは。」
 「ああ、ああ。万が一のときは頼むかも知れぬがな。」

 今はまだ その時じゃあないからと。つややかな金絲を肩へと散らし、なかなかに麗しさの増した最愛の人を挟む格好で、当代の総帥と恐らくは次代の総帥候補が、微妙に本気で睨み合ったりし。

 「……………収拾つきそうにないんですが。」
 「さてなぁ。俺もそこまで聞かされてへんし。」

 おシチも適当なトコで場ぁから離れて息抜きしよしと。お気楽な助言を下さった良親殿とともに、筆者もこれにて退場させていただきます。



   「あっ、こらっっ!!」






  〜どさくさ・どっとはらい〜 09.02.18.


  *他言無用!(こらこら、またかい)

   じゃあなくて。
   拍手のほうでいただいた、
   数年後の、
   独立しているキュウさんとご両親とを拝見したいというお声から
   ちょっとむらむらと良からぬ想像がわいてしまいまして。
   ちょこっと以前にも似たような話を書いてたのですけれど、(『
真白な夢見』参照)
   いやはや、楽しかったですvv
   ええもう、完全に“もしも”なお話ですので、
   どこへも続きませんですよ

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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